阪神タイガースの歴史 | 1940年代の阪神タイガースの歴史 →
現在の阪神タイガースへとつながる、大阪タイガースが1935年12月10日設立される。翌1936年プロ野球リーグが発足。景浦將、松木謙治郎、藤村富美男など個性的ながらも名選手を揃えていた阪神は、初代年間王者および2連覇を達成する。1930年代の阪神は、巨人を圧倒しプロ野球創設期に強烈な存在感を築いていった。
1930年代以前[]
- 1924年
- 甲子園球場誕生する。
- 8月1日、阪神電車甲子園大運動場(現、阪神甲子園球場)が設立される。甲子の年に誕生したため甲子園。同年12月より、名物のツタを生やす。
1930年代[]
- 1934年
- 大日本東京野球倶楽部設立。
- 日本3番目の職業野球球団として大日本東京野球倶楽部、球団名「東京ジャイアンツ」が設立。この大日本東京野球倶楽部は、野球を広めるため、米国大リーグの選手と公開試合をしながら日本各地を巡業した。この球団が後の読売ジャイアンツへとつながる。
- 1935年
- 大阪野球倶楽部誕生
- 大阪野球倶楽部、球団名「大阪タイガース」が設立される。日本で設立4番目の職業野球球団である。この球団が我らが阪神タイガースとなり、現存するプロ球団なかで2番目に古い。
- 1936年
- 日本プロ野球、誕生する。
- 2月5日、東京ジャイアンツ、大阪タイガース、名古屋軍、東京セネタース、阪急軍、大東京軍、名古屋金鯱軍の7チームで、日本職業野球連盟(現、日本野球機構)が設立される。4月にはその連盟6チーム(東京ジャイアンツ不参加)で日本初のプロ野球リーグを開催される。さらに8月には連盟結成記念全日本野球選手権がトーナメントで開催され、9月-12月には第2回全日本野球選手権が開催。現代へと続く日本プロ野球が誕生した年である。
第2回全日本野球選手権記録
- 藤村富美男、本塁打王 2本。
- 藤井勇、最多安打 40本。
- 景浦將、最優秀防御率 0.79、最高勝率 1.00。
- 1937年
- タイガース秋季優勝し、年間優勝。
- 春季・秋季の2リーグ制。大阪タイガース秋季優勝する。また優勝決定戦で4勝2敗で春季優勝の東京ジャイアンツを破り、年間優勝。
春季記録
- 松木謙治郎、首位打者 .338、本塁打王 4本、最多安打 70本。
- 景浦將、打点王 47点。
- 山口政信、盗塁王 29個。
秋季記録
- 景浦將、首位打者 .333。
- 山口政信、盗塁王 29個。
- 西村幸生、最優秀防御率 1.48、最多勝15勝。
- 御園生崇男、最高勝率 1.000。
- 1938年
- タイガース春季優勝し、年間でも史上初の2連覇達成。
- 大阪タイガース、29勝6敗で春季優勝でプロ野球史上初の連覇を達成する。さらに年度優勝決定戦で、秋季優勝した東京ジャイアンツを破り、これも史上初の2年連続年間優勝。
- この年、南海軍(現、福岡ホークス)誕生。
春季記録
- 景浦將、打点王 31点。
- 西村幸生、最優秀防御率 1.52。
- 御園生崇男、最高勝率 .909。
- 1939年
- 日本職業野球連盟が日本野球連盟に改称され、1リーグ制が導入される。
- 12月、石本秀一監督が辞任する。後任は松木謙治郎が兼任監督。
- 景浦將、応召され出兵する。
記録
- 若林忠志、最優秀防御率 1.09。
- 御園生崇男、最高勝率 .824。
参考情報[]
- 「阪神タイガースヒストリー」『阪神タイガース公式サイト』
- げんまつWEBタイガース歴史研究室
- 松木謙治郎 『大阪タイガース球団史 - 1985年度版』桓文社、1985年、ISBN 4-7704-0634-7